弱まる場面

意見書 公演中止で本当に良いのか - ニュース - 野田地図

まあ、観客がいないと成り立たないというのは分かった

芸術であれ、文化であれ、娯楽であれ、この手のものは、社会的基盤の上に成り立つものであって、それ以上でもそれ以下でもない

それは、スポーツも同じ分類のもので、傍目から見れば、大した違いはない

電気・ガス・水道・交通などのインフラの類いが止まっただけで、維持していられないタイプの、元々脆弱なものだ

そんなことは分かり切ったことだろうが、" スポーツイベントのように " という言い方の部分に、理解していないフシを感じる

しかし、文化と言われるものは、実態としてもっと逞しく、強かなものでもある。何者かに禁じられようと、弾圧され迫害されようと、それでもしぶとく生き残り続けて、また新しい時代に花を開かせるくらいのことは、幾度も平気でやっている。人の欲や心情や期待や感動によく寄り添い、決してなくならないものの代表格として、厳然と存在しているではないか

演劇も、火の粉から逃れるために、変態すべきである。次に羽化した時には、どのような変化を遂げているか予想もつかないが、生き残りに全力を尽くすべきだ

ましてや相手はたかが疫病の類いだ。人が全て消え去る可能性のある未曾有の事態という訳でもなく、100年続く戦いの火蓋が切られた様子すらない。よく変化して、対応し、短いながらも非常に寒い冬を乗り越えるくらいの気概はある筈だ

" 観客がいなくても成り立つ演劇 " 、本当にないのだろうか。素人目には、あるのではないか、そういう希望を持ってしまう。つい、そういう希望を持ってしまうのは、演劇から派生したエンターテイメントが数多の輝かしい結果を出し続けて、人の心に深く浸潤しているからだ。人が為すあらゆるステージの根本である演劇に、少しだけ大きな期待をしてしまうのは、間違いなのだろうか。そんなことはないと、誰しもが思っている